簡易早期退職シミュレーション
概算での退職後シミュレーション
先に退職後シミュレーションにおいて大きな影響を及ぼす項目を挙げました。これは、一見そこまで考えなくともという感じのする内容でしたが影響が大きいので重要なことです。
そのことを考慮した上で、実際経済的な面で退職したら 「どうなるのかな?」 について概算する私なりの計算方法(そんな大仰なものではないです(笑))があります。
A=(社会人になってから退職するまでの収入 ー 現在の預貯金 ー 持ち家があればその購入費用)/(社会人年数)
B=(現在の預貯金 + 想定余命までの年金受給額)/(想定余命)
を求めます。
仮に、22歳で就職、35年勤めて3億円の収入、7千万円の預金があって、5千万円の家を購入していたとします。
A=(30000-7000-5000)/35 ≒ 510万円
次に、90歳まで生きる(かもしれない)として、余命33年 65歳から(年金お知らせ便等で早期退職分考慮の上)年額350万円の年金(企業年金等含む)を受給するとします。
B=(7000+350×25)/33 ≒ 480万円
この時、Aは、いままで生活してきて必要だった年間の出費(税、社会保険含む)と見ていいでしょう。年間510万円程使ってきたことになります。
一方、Bは、これから生活していくために必要な年間の出費上限額となります。従って、今までより年間30万円ほど出費を抑えることができるなら前述の『カンオケ問題』を生ずることなく生活できるわけです。
平均寿命(男性)85歳まででBを再計算すると、500万円ですから大雑把にいってほぼ今までと同一水準の生活ができます。
勿論、学校を出たばかりのころ、結婚したころ、家を買ったころ・・といろいろな変化があったわけですし、同様にこれからも家の修繕や大きな病気など出費は変化するでしょう。
AとBとを算出した結果から、
- A ≒ B バランス型
- A > B 出費抑制型
- A < B 出費拡大型
に分けることができて、2の場合には慎重な早期退職を考えるべきでしょう。
そして3の場合には、いままで以上に旺盛な出費を心掛けないと?カンオケ問題を生じます。
2の場合であっても、勤務時より多くの出費をせず満足した生活が送れるエヴィデンスがあるなら問題はないですし、3であっても、リタイヤ後住み替えや別宅を構えて奔放な消費をするつもりならカンオケ問題は解消もしくは、行き過ぎて破綻にもなりえます。
ただ、調査による平均的な数値からの算定とは異なり、実際自分がいままで生きてきた何十年の実績であり、将来同一人物が生活していく中にあっては目安になるシミュレーションだと思います。
私の場合は、この概算を数年前に行ってみて、BがAよりある程度大きくなることが分かりました。そこで、
B - A ≒ 想定困難な経済的支出
想定困難なものを想定するという非合理な物言いになってしまいますが、要はどれだけの将来起きるかもしれない出費がいくらかを自分で判断して、上の式が成立することを確認、納得して早期退職することとしました。
想定外の出費は考え出すと杞憂とも思えるほど挙げられます。しかし、複数の事象すべてが起きることはないと見切ることができます。むしろある程度見極められれば、熱意をもって就くことのできない仕事に人生を費やしてカンオケ問題を引き起こすことを避けることができて、ゆったりとした自分の生き方を選べると決めました。
(つづく)
早期退職を考えた理由
早期退職してみようか・・・
先の記事で記したように、早期リタイヤを考えたのは、平均健康余命が20年を切っていること、役職定年に続いて定年延長して、命(自分の時間)を懸けられる仕事を得ることができないと思ったことが一番の理由です。
しかし、この他に経済的なことも決断するのに大きな要因となりました。それは、
【カンオケ問題】
です。申し上げるまでもなく、わたしの造語です。
何歳くらいまで生きているのかは知る由もないけれど、100歳は無理!と思います。すると、もし、その時までに自由に金を使って、なお、余ってしまうようなことがあれば、バカバカしい! そこで、
「資産を棺桶と一緒に燃やしてしまうのは問題だ」
という訳です。要は稼いだものは、ぴったり使い切って死ねればいいなと考えたのです。
では、実際死ぬまでにどれほどの準備があれば、仕事中心の生活から、遊び中心の生活に転換できるのか? 概算してみたところ、意外や意外、中途半端な初老夭折?したことも考えると、貴重な時間を使ってやりがいのない仕事で糊口を凌ぐなんて不合理で、むしろ「カンオケ問題」が生じるではないですか!
趨勢に流されて、大きく減る収入に甘んじて仕事をする必要はなく、所与の資産とシミュレーションをもって、早期退職、自由な時間を手に入れることができそうでした。
それで、前回までは、自分ではコントロールできない事項が生起した場合についてどの程度対処できるかを大雑把に見てみました。次は、想定外の事象への対処を考えつつ、現実の生活でのシミュレーションについて見ていこうと思います。
(つづく)
早期退職にあたり、想定しがたいことへの対策
想定しがたいことへの対策
退職後のシミュレーションは、できる限り精緻にやったつもりです。しかしながら、生起確率は低くても、インパクトの大きな事態、往々にして そんなこと起きるかどうか分からないでしょ という事柄を前回記しました。
卑近なシミュレーションの前に、こうしたインパクトの大きな事態が発生したときどこまでどうやって対処するのか、できないと諦めるのかを整理してみます。
1.天変地異:
日本沈没や全土核攻撃のような事態は、もうその時です(笑)。対応能力、制御能力を持たないので流されるしかありません。一方、火災や地震に関しては、現在の住居から20km以上離れた場所に居住場所をリザーブしておくことで対処することにしました。具体的には、今の集合住宅は比較的堅牢な構造なので、通常の劣化には修繕で対応できそうです。しかし、火災や地震による倒壊の場合、離れた場所で速やかに生活できる必要があります。これは、郊外の地価の安い戸建て(固定資産税も低い)を準備します。私は都内在住で、避暑地と言われる(箱根や軽井沢)別荘地も下落傾向にあり、それも一石二鳥でいいかとも思いましたが、現住居が倒壊した場合、転居先で生活することになり、利便性や災害時に最悪歩いて行けることを考慮し決定しました。
2.戦争、治安の著しい悪化:
これらについては、前回対応可否を考えた際、お手上げ としました。身を任せるしかありません。実際その時になって、右往左往するでしょうし、そうなっても手遅れなのです・・・。杞憂に終わることを願います。
3.経済の変動:
尤も生起確率の高い事象です。平均年率3%の物価上昇率を想定しシミュレーションして、対応可能な貯蓄を用意し、加えて将来生活費削減での対応ができるようにします。
4.健康:
癌、難病などいろいろ考えられますが、1,2年で死を迎えるのであれば、(往生際は悪いでしょうけれど)経済的問題は生じません。その後の生活資金を治療費に投じることができます。ただ、いつ死ぬか分からない場合、第三者の介護を必要とする場合の医療費、介護費が問題です。健康寿命に至るまでは医療費とは別に2千万円の介護費をプールして、その後は暫時これを逓減していくことにしました。
(つづく)
閑話(その2:危機感で迫ることに意味があるのか)
【危機感で仕事を迫ることがプラスなのか】
退職を判断した理由には、理由にならないような漠然としたものも含めいくつかあります。
その中の一つに、ここ十年ほどの流れとして、
「今は危急存亡の秋であり・・・・」 「常に危機感をもって業務に当たって・・・」
といって、仕事への動機づけを図ろうとする流れが定着してしまったことです。
私としては、これでは老若男女問わず楽しくない(”らく”ではありません)、おもしろくないと強く感じます。
根本的に、仕事が楽しくないと続かないし、力も発揮しにくいとうのがささやかな持論です。危機的状況を脱するためだと煽って?追いつめて?ビジネスの創生や成長が可能だと本気で思っているのでしょうか。
この年で青臭いと言われようとも、お仕着せの危機感に迫られるのではなく、(たとえまぼろしっぽくとも)夢や志に向かって仕事をしない限りビジネスは成しえないのではないでしょうか。
戦後急成長した企業(あえて挙げるなら、ホンダ、ソニー・・・)には、こうした理念が感じられました。大小を問わず、他にもこうした会社が多かったと思います。
「常に危ないんだから気を引き締めて仕事をしろ」と言われて創造的かつ継続的な仕事は望めないでしょう。
一縷ではあっても、自身の仕事を世に問えるとか、金になるとか、出世できるとか、社会貢献したいとか、価値の方向はいろいろであっても、個々人が夢や志をもって仕事をせずして力を発揮することはできないと思います。勿論、ビジネスである以上その夢や志は、市場で判断されるので独りよがりではいけませんし、逆説的にいうなら、普通は独りよがりのものでは面白くないでしょう。
私は自分も含め、メンバにも、志を定めて仕事に向かうことと、いつでも転職できる人であることを望んできました。前者は述べた通りです。後者は、サラリーマンにとっても企業にとっても必須条件だと信じています。
「いつでも転職できる=市場で求められる人」である
からです。そして、そうしたメンバを擁することは、会社の方針に対して、個々の貴重な意見を発信し醸成することのできる組織を作ることになり事業を成し得るでしょう。よって、会社サイド(しがない管理職であっても)として、できる限り他に負けずに ”いつでも転職できる”人に、この職場で働きたいと思う環境や夢を提供できることが基本だと思うのです。真顔で危機感を並べてどうしようというのでしょうか、未だに理解しかねます。
しかし、世の中はある種の流行にのることもあって、今はピストルで崖っぷちに追い込んで仕事をさせることがよしとされているのかもしれません。
このことに私は、異を唱え、最後は転職ではありませんでしたが、退職を選択した訳です(笑)
閑話(その1:退職シミュレーションの数値)
金の記録、シミュレーションについての私見
家計のシミュレーションに限らないことですが、数値(この場合家計のお金)を扱ううえで、ずぼらな性分のためもありますが、
【記録を役立てることのできない記録に意味はない】
です。乱暴かもしれませんが、
コントロールしようとする数量の1%以下は記録することに意味がないと思っています。
コンピュータによる弊害だと見ていますが、なんでもかんでも やたらに桁数の多いデータは、その精度も怪しむべきですし、そもそも、人が扱う上でその数値をなんらかの判断に使えないなら無意味です。
私の場合1%以下の数値は必要ありません(使いこなせません(笑))。実際普段の生活でも、上位1桁か2桁の数値でしか計算しません(できません(笑))。
例えば、年収を数円とはいわずとも、数万円単位以下まで知ることに意義を感じません。意味のない記録を続けることは無為ゆえに、無駄であり記録を継続することが面倒になると考えます。
2,352,993円
が意味を成すことは殆どあり得ず、
235《万》円(もしくは、24《十万》円)
で必要十分だと思います。
記録期間をそろえる癖も大切だと考えます。日々の出費であっても、逆に数年に一度の出費であっても、年額に変換する癖です。
細かい具体例をあげると、
・ほぼ毎日飲むコーヒー代390円を記録していては、労力多くして実がありません。常に年間で何万円?と考えるようにしています。コーヒーなら1年のうち、毎日とはいっても6割しか飲まないので、年額9万円。
・15万円のエアコンを買ったなら15年はもつとして、年額1万円。
・月1500円のダウンロード音楽サービスを契約したなら、年額2万円。
といった具合です。
桁数を丸めることで、これは年間いくらかかるのか?と気軽に計算できます。このことで対象の経済的費用を捉えやすくなり、自分にとって高いか安いかの価値判断(のひとつ)をすることができます。
(私としては、上の三つの例では、酷暑を凌げるエアコンの価値は大きくて、これに較べたらコーヒーはどれほどのメリットを得ているのか代替手段はないのかを考えてしまいます。一方で、最終的な価値の判断は個人の好みによりますから、なにをしてもしなくても同じだ という意見にも理があると思います。なんでもかんでも金に換算して価値を判じるのでは味気なくもありますし)
実際のシミュレーションはエクセルを利用するので、人間の計算負荷はゼロ?ですが、何桁も入力する手間と何桁もの数値を目に入れる負担を軽減すべく上位2か3桁しか表示させないようにしています。
【年額、何万円かかっているのかをいつも計算する】
というより、悲しいかな、してしまう性癖が染みついてしまっています。そして、退職シミュレーションにおいては、基本これを平均余命で乗することになります。
早期退職へのテイクオフ準備
早期退職にあたり私なりにできる限り精緻なシミュレーションを繰り返しました。
しかし、予想はあくまで予想でなにが起きるか神のみぞ知るです。
近年の流行語?に、BCM(事業の継続性を予測制御する)といのがありますが、個人にとってこそ重要な事柄です。だれかの助けを得ることなく自ら対応できる範囲はどこまでなのか。また、どう対応するのか、不測事態発生時にはライフスタイルをどのように変える(悪化することが多い)のかについて考えることなく離職する器は私にはありませんでした。
ちなみに、社会人になったころには、健康さえ担保されればどうにでも食べていけると大真面目に信じていました。若年で長期にわたって病気になるとすれば死んでしまうことがほとんどだろうと見切ってしまう無謀さと勢いがありました(なので、生命保険には一切加入しませんでした)。また、戦争については極めてお粗末な理屈として、徴兵されても戦場には立つ可能性の少ない職業を選びました(勿論これは後付けのようなもので、好きな職業がそういう性質だったので、自分を納得させていただけです)。
しかし、半世紀も生きていると、なんでも働いて食っていってみせるという自信は喪失してしまいました(笑)。一方りっぱなおっさんとなり徴兵される心配はありません。
脱線しますが、平和であったことに感謝したいです。さて、閑話休題。予想できないなかで、どんなことが想定できるのかできないのか、想定できるのであれば、どこまでの対応策を考慮すべきかについて記します。
【想定しにくい事はなにか】
最も懸念すべき不確定要素には、どんなものがありそうで、対応できるか否かを見極めてみます。
- 天変地異 :地震、火災
- 戦争、治安の著しい悪化 :他国の侵略、内戦、無政府もしくは圧政状態
- 経済の変動 :極端なインフレーション、金融信用崩壊
- 健康 :障害、長期疾病、高額医療費、公衆衛生環境の悪化
【想定しがたい項目にどう対処できるか、できないか】
順に見ていきます。死んでしまえばそれ以上のことは考えません。
1.天変地異:傷病については、生きている限り治癒するとします。問題は住居を失うことです。火災は局所的で、地震も壊滅的被害(住居倒壊)は、半径10km以内で発生するとします。とするなら、20km以上離れた場所に居住できる態勢を整えておくべきです。(早期退職であり、平均余命までは、いままで生きてきたよりも長い期間ですから、生起確率として無視するのは危険だと判断しました)
富士山噴火、日本沈没(古いです)のような事態には対処できないものとします。
2.戦争、治安の著しい悪化:これについては、海外へ難民となって避難するくらいしか対応策が浮かびません(いままでは、幸せな環境で生きてこられたことに感謝します)。海外移住となれば、どのくらいの費用と手順が必要になるのか・・・。ペンディングというより、退職してしまってからでは対処のしようもなく、甘んじる覚悟もなく、・・・・答えが出ません。したがって、対処できないとせざるを得ません。
(難民、移住民問わず海外へ離脱するのであれば為替レートとその時点での持ち出し可能な流動性資産を考慮すべきです。年老いたからといって甘んじる覚悟ができるとは思えませんが、先立つものがない場合は、留まって身を任せる=対処できないとします。)
3.経済の変動:これが尤も生起確率の高い事象でしょう。現政権が声高に叫んでいる2%インフレが持続的に実現するなら、平均余命を迎えるころには、2倍前後の物価水準となります。インフレ率と預金金利との相関は見通すことが困難ながら、正の相関を仮定したシミュレーションを行うこととします。
最近、「老後老後、老後の計画!」とファイナンシャルプランナー等々が、見通しを述べていますが、インフレ率を想定したものは殆ど目にしません。これはあり得ないことだと思います。平均3%のインフレが継続し、年金制度改定により現在のマクロ経済スライド制度よりも需給年金額が悪くなることも当然考えてシミュレーションし自分が生きながらえるかもしれない年齢まで経済的に破綻しないことが必要となります。
4.健康:幸か不幸か、疾病を罹って短期間で死亡するのであれば 甘受するほかにありませんので、考慮しようがありません。問題は、地獄の沙汰も金次第ではありませんが、高額医療によって治癒できる場合を想定しなくてはなりません。世知辛いようですが、所定の金額を超えた場合は健康を取り戻せるとしても諦めるしかありません(往生際は悪いと容易に想像できますが仕方ありません)。
極端に過ぎると思われる方もいらっしゃるかと思います。実際、わたしもきちんと考えているかといえば疑問だらけです。
具体的対処策については、個々に述べていこうと思います。
(つづく)
早期退職も悪くない
生涯現役!?
最近、政府を含め世論が生涯現役=退職年齢の延長の色が濃い気がします。
しかしながら、老後の不安を煽り、経済規模を縮小させないため労働人口を保つ方策ではないかと勘繰りたくもなります。
申すまでもありませんが、自由に考えてみるべきでしょう。
ちょっと、考えてみましょう
一度、落ち着いて自分の進む道を考えるのもいいのではないでしょうか。以下、サラリーマンである私なりの結論です。
多くの会社では、役職定年といって定年退職前に所定の役職にないと職位を解かれたり、出向、転籍させられたりといったことがあります。いたずらに職位職責が高いことを追うばかりが能ではありませんが、それまで懸命に走ってきたのであれば、大きな気持ちの切り替えに迫られるのではないでしょうか。少なくとも私はそう思います。
いくつまで働きたいか
さて、一般に60歳定年退職ということが多い中、先に述べたように65歳、いや70歳、いやいや生涯現役がといった方向へアンケートによる希望は傾いているようです。
しかし・・・ 100歳社会などとも言われますが、現在の健康年齢(身体的に健やかに暮らせる年齢)は、男性なら75歳程度です。もし、70歳まで働けば、リタイヤ後、元気に過ごせるのは5年です。私には僅かに5年、しかも健康とはいえ50代、60代のような体の自由はきかなくなっているはずです。
残りの人生のを仕事に懸ける意思があるか
仕事に意義を感じ、続けることができるのであれば幸せなことであり生涯現役であることも喜ばしいことでしょう。ただ、所定の年齢でラインから外れそれでもなお人生の貴重な時間を費やして続ける意味のある仕事を得られることばかりではありません。
仮に60歳で定年を迎えて、会社とは全くことなる自由な時間を有意義に過ごすことができるなら、平均余命ならぬ平均健康余命を考えたくなります。15年です。ほんとうに70歳まで働く場合の3倍です。いくつでリタイヤするのか、それまでほんとうに働きたいのか自らに問いたくなります。
その意義を見出せないのであれば、会社組織から離れて文字通り第二の人生を楽しみたいと思います。70歳まで流されたり、老後の危機で煽られたりして、退職してみれば、あと5年しかないのではぞっとします。
リタイヤ後の人生を楽しむ
昔と違い、サラリーマンでも転職は珍しくはなく、むしろ意欲的に複数の企業で活躍される方も多いでしょう。自分のスキルや意向で、フィールドを変えるわけです。
リタイヤもこれと同じように考え、’70歳まで現役が当然’なる声を疑い、60歳定年といった巷で決められた慣例からも離れて、自分の意志でリタイヤ後の人生を見つめ考え実践してみてもいいと思います。
結果、私は50代でのリタイヤをすることにしました。
(つづく)