閑話(その2:危機感で迫ることに意味があるのか)

【危機感で仕事を迫ることがプラスなのか】

 

 

 退職を判断した理由には、理由にならないような漠然としたものも含めいくつかあります。

 

 その中の一つに、ここ十年ほどの流れとして、

 

「今は危急存亡の秋であり・・・・」 「常に危機感をもって業務に当たって・・・」

といって、仕事への動機づけを図ろうとする流れが定着してしまったことです。

 

 私としては、これでは老若男女問わず楽しくない(”らく”ではありません)、おもしろくないと強く感じます。

 

 根本的に、仕事が楽しくないと続かないし、力も発揮しにくいとうのがささやかな持論です。危機的状況を脱するためだと煽って?追いつめて?ビジネスの創生や成長が可能だと本気で思っているのでしょうか。

 

この年で青臭いと言われようとも、お仕着せの危機感に迫られるのではなく、(たとえまぼろしっぽくとも)夢や志に向かって仕事をしない限りビジネスは成しえないのではないでしょうか。

 

戦後急成長した企業(あえて挙げるなら、ホンダ、ソニー・・・)には、こうした理念が感じられました。大小を問わず、他にもこうした会社が多かったと思います。

 

「常に危ないんだから気を引き締めて仕事をしろ」と言われて創造的かつ継続的な仕事は望めないでしょう。

 

一縷ではあっても、自身の仕事を世に問えるとか、金になるとか、出世できるとか、社会貢献したいとか、価値の方向はいろいろであっても、個々人が夢や志をもって仕事をせずして力を発揮することはできないと思います。勿論、ビジネスである以上その夢や志は、市場で判断されるので独りよがりではいけませんし、逆説的にいうなら、普通は独りよがりのものでは面白くないでしょう。

 

私は自分も含め、メンバにも、志を定めて仕事に向かうことと、いつでも転職できる人であることを望んできました。前者は述べた通りです。後者は、サラリーマンにとっても企業にとっても必須条件だと信じています。

 

「いつでも転職できる=市場で求められる人」である 

 

からです。そして、そうしたメンバを擁することは、会社の方針に対して、個々の貴重な意見を発信し醸成することのできる組織を作ることになり事業を成し得るでしょう。よって、会社サイド(しがない管理職であっても)として、できる限り他に負けずに ”いつでも転職できる”人に、この職場で働きたいと思う環境や夢を提供できることが基本だと思うのです。真顔で危機感を並べてどうしようというのでしょうか、未だに理解しかねます。

 

しかし、世の中はある種の流行にのることもあって、今はピストルで崖っぷちに追い込んで仕事をさせることがよしとされているのかもしれません。

 

このことに私は、異を唱え、最後は転職ではありませんでしたが、退職を選択した訳です(笑)